ホメオパスプロフィール

わたくし、センター長 本康優子のプロフィールやホメオパシーとの出会い、自身のホメオパシー体験について。

ホメオパスプロフィール

2004年3月
・RAH(ロイヤルアカデミーオブホメオパシー)卒業
2005年1月
・日本ホメオパシーセンター静岡浜松 開設
2023年6月
・Homeopathy Academy Japan DIPLOMA取得(「疾患の分類」2年間の専門課程修了)

本康優子です
1968年生まれ
てんびん座のA型です
「声が」素敵とよく言われます
一度、聞きにいらして下さい

・Seeds of Angelica認定 飛ぶフラワーエッセンス教室 全過程修了
・NPO法人日本プロカウンセリング協会認定カウンセラー
・ジャパンエコールデアロマテラピー認定アロマセラピスト
・シータヒーリング基礎DNAコース 修了
・プループリント協会認定ヒマラヤンヒーリングプラクティショナー

気ままなOL時代・インドの魅力

旅行が好きで、22歳の時初めてインドを旅して、混沌とした貧困の中にある明るさと強さと生命力に圧倒され、 すっかりインド好きに。

その後、インド舞踊を習い始めたり、ヨーガに取り組んだりしているうちに 身体と精神の深いつながりを感じ、おのずと「健康」や「病気」についてココロとカラダは切り離しては考えられないのだ! と思うようになりました。

会社勤めをしながら、カウンセラー資格を取ったり、アロマセラピストとして 仕事をかけもちしていた時期もあります。

ホメオパシーとの出会い

ホメオパシーを知ったのは、アロマをしていた1997年頃のこと。
「ホメオパシー」という名前は聞いたことがありましたが、実際に体験する機会がおとずれたのです。

ある方の協力を得て、私が以前から悩まされていた「ひどい生理痛」をホメオパシーで何とかしてみようと、試してみたのです。

初めて見るレメディーは、何とも可愛らしい白い砂糖玉で、なめるとほんのり甘い。
毎日楽しみにしながら、数日間摂り続けました。

そして、レメディーを摂り終えて初めての生理がやってきました。
それが、痛いのなんのって! 一晩中トイレから出られず、身体を二つ折りにして、
一人暮らしのアパートのトイレで「たすけてぇ~」と叫びながら唸っていました。

あの夜ほど、朝が待ち遠しかった日は記憶にありません。
これこそが、ホメオパシーでいう「好転反応」だったのです。

そして、その翌月の生理からは、嘘のように痛みがなくなり、ビックリ!

この経験を機に、「ホメオパシーをもっと知りたい! 実践してみたい!」と思い、
自分もホメオパスになろうと決心し、RAHの5期生として入門しました。

自身のホメオパシー体験

ところが、ホメオパシーを学び始めてすぐ、体全体の関節が次々に炎症を起こすという、
いとも奇妙な症状が、私の身体を蝕みはじめました。

RAHに入学したばかりの頃、学長の由井寅子先生が

「ホメオパシーを学び始めると、色んな病気が自分にふりかかってくるけん、覚悟しとかないかんよ。
あんたたちは、試されとるんよ。」

とおっしゃっていたのですが、まさか!ほんとに!うっそ~(笑)という感じでした。

病院へ行っても、全く原因が分かりません。
日々、膝や腕、手足の指や肩関節までもが、1週間おきに腫れては治まる……という、困った症状を繰り返しました。

最も酷いときは、ベットから降りることすらできないほど、痛みました。

何しろ、まだ学び始めて1ヶ月の学生だった私は、慌てて先輩ホメオパスに連絡し、
自分でも試行錯誤を繰り返しながら様々なレメディーを試し、
一切のお薬を飲んだり塗ったりせずに、その症状を治すことができました。

当時の、完治に至るまでの道のりは、忘れられません。

始めにとったラストックスというレメディーで、すぐに症状がよくなったので
コレはいける!と思ったのも束の間、同じ痛みがやがて戻ってきてしまいました。

ポースティーラというレメディーを飲んだ翌日は、
突如私の右足の膝が通常の2倍ほどの大きさにパンパンに腫れあがって、
一歩も動けない状態になったこともあります。

これは、一生抱えていかなければならない病気になるかも……と、不安に怯えた時期もありました。

でも、そんなひどい状態にいたのに、ソライナムというレメディーをとった時に、
不思議と「大丈夫。何とかなるさ。」という、妙に穏やかな気持ちになったのを、よく覚えています。

最終的には、小さな小さな痛みを、右足の膝(一番最初に発症した部分)に抱えたまま数ヶ月を過ごしていたのですが、
ファイトラカというレメディーを取った翌日、気がつくと、その小さな痛みは消えてなくなっていました。
(この痛みの消え方は、ホメオパシーでいう「治癒の方向性」の教科書通りの反応です。)

それ以来、一度たりとも関節の腫れや痛みは起こっていません。

そして3年後、浜松~東京間を往復すること50回以上のRAHでの勉強を終えて、無事ホメオパスとなりました。

継続的な学び

卒業後すぐに開業した後も、ホメオパシーの学びは続きます。

国内外の有名な講師のセミナーを受講する中で、オランダで40年以上の実績を持ち、ホメオパス養成学校(Homeopathy Academy Netherlands)の学長であるエワルト・ストットラー先生との出会いが、私のホメオパシーに対する考え方や手法に、大きな変化をもたらしました。

ホメオパシーの父「サミュエル・ハーネマン」の教えに徹底的に忠実な処方。
疾患を分類し、とても論理的に考えを組み立て、レメディーを選択する。

しかし、現代の複雑な病気や環境に対応する最新の情報も取り入れる。

その姿に感銘を受け、以来15年以上、先生からの学びを実践する毎日です。